ラダックのタルチョ 

ラダックのタルチョ

またまたお話しはクルッと変わって旅モノですね。
写真は20年前のポジフィルムからスキャンしました。ポジの保存状態が悪く少々カビやシミが出てしまったりして残念なのですが、まあそこは気にせず行きましょう・笑

スカッとした青空に原色の旗がはためいています、ここは以前続き物で記事を書きますと言っておきながら更新止まっていた土地、リトルチベットと呼ばれるラダックです。
この旗のことを「タルチョ」といいます。チベットのゴンパ(寺院)や風の吹き抜ける高台には必ずこの旗が盛大に掲げられています。よく見ると旗にはチベット仏教の経文がビッシリと書かれています。風でタルチョがはためくと経文を唱えたことになる、とされています。
他にもチベットの方が手にしてクルクル回している「マニ車」なるものもありまして、こちらも回すと真言「オムマニペメフム」を唱えたことになるというすぐれもの。
ふむふむチベット人、ナカナカ合理的です。

タルチョの色は基本5色。青が空 、白が雲、赤が火、緑が水、黄が大地をあらわしています。マントラで宇宙を説きタントラで宇宙を描いたチベットです、なににつけても意味深長ですね。
タルチョには他のスタイルもあると聞きますがワタシが今のところ巡ったチベット地方ではだいたいこの形でした。場所によってはいくらなんでもコレハ盛大過ぎませんか?といった程にかかげられていて、そんな四方八方めぐらされたタルチョは天空に近いこの土地の風を受け、絡みほぐれつつ何時も止まることなくためいています。

いつも急ぐ旅ではありませんので丘の上、眺めの良いところで寝ころびボンヤリを決め込むこともたびたび、そこにはたいていタルチョがはためいています。紺碧の空にタルチョはためき、目を閉じれば「パタパタ、ピュー」と風切るタルチョの音。本当にいい感じです。

ワタシは特別にチベット仏教(チベット密教)を信仰しているわけではありません。しかし信仰の位置づけが希薄な日本に生まれて、いったい宗教ってなんなのですか?という長年の素朴な疑問にひとつのかたちを示してもらったのもこの地でありました。
その土地での、その自然の中での祈り、願いのカタチ。
それがスッと抵抗もなくここでは感じることが出来たように思うのです。

いままで作品の中にもタルチョはモチーフとして何度か出て来ていますが、鑑賞する方からいつも「ずいぶんたくさんの洗濯物ね」といった感想をいただきます・笑 
そのたび「これはチベット地方で信仰の旗でして・・・」
などといつも説明してまわっているのは言うまでもありません・笑


リトルチベット4・ラダッキー 

ラダッキー

続きモノでボチボチ進めていこうと思っているチベットネタ、引き続き旅の視点でタラタラと書いていこうと思います。記事が散らばって続けて読みにくいとのことで「バックパッカー」のカテゴリーから新しく「チベットの旅」カテゴリーを作って記事をまとめました・笑

写真はインド最北部ヒマラヤ山中のチベット文化地域ラダックに住まうラダッキー達。
短い夏の間にラダック地方各地で多く開かれるお祭りの最中で、ラダッキーのお嬢さん達も正装してとても嬉しそうです。もうありったけの装飾品を身にまとったような風情ですが、たくさんのターコイズブルー色がちりばめられたトルコ石が印象的です。貴石、半貴石や銀がちりばめられた装身具は代々引き継がれてきた大切なものだそうです。

この日はストックゴンパ(ゴンパとはチベットでお寺の意)でお祭りと聞いて出かけたわけですが、ラダッキー達は突然の見知らぬ言葉も通じぬ異邦人を当然のように温かく迎えてくれました。高地ラダックに入ってから一週間ほどが過ぎて高地順応もバッチリ、ワタシもお祭りに参加させていただきました。弓を引き、輪になって踊り、お茶を振る舞われ、とても楽しみました。ラダッキー達が微笑みつつもさりげなく気をつかってくれる様が心にジワリ染みます。

ストック祭り

飲んでいるお茶はチベットやモンゴル遊牧民達のあいだで欠かせないバター茶、お茶とバターと岩塩を専用の長い筒でひたすら攪拌して作ります。水分補給に塩分、栄養補給も兼ねた優れものです。チベットでは1日に何度もバター茶を頂く習慣です。しかしこれが慣れないとなかなか動物の香りが強くキビシイ、ブルーチーズとムスクの香りを混ぜたような??でもネ、もちろんありがたく頂きます、「郷に入らば郷に従え」旅の基本ですね・笑

ちなみにムスクとは麝香鹿(じゃこうじか)から取られた動物性の天然香料。チベットやネパールの特産物で当時は「コレホンモノノムスク、オマエイラナイカ」と現地の方に得体の知れぬ黒い塊をよく見せられました。ワタシは興味ありませんでしたが良い値だったなぁ~。
今は動物保護の見地から本ムスクもほとんど出回らなくなり合成ムスクが世界の需要を満たしているようです。いろいろと変わってゆくものですネ。

リトルチベット3・レー 

ラダック王宮

チベット文化圏ラダックはインド最北部ヒマラヤ山中に位置しリトルチベットも呼ばれます。
写真はラダック中心地レーのシンボル的存在、レーパレス(旧王宮)です。

ラダックは1974年に入域制限が解かれて旅人にも徐々に開放されたチベット文化圏。入域制限がかけられていた為かチベット仏教やその文化が色濃く伝えられたままの姿があると言われていました。本家チベットが中国によって「チベット自治区」とされてから、長きにわたり同化政策が取られてきた今では、その本家よりもチベットらしい地域とも言われています。

中心地レーの標高が3700メートル、体が順応するまではカタツムリの気分でゆっくり行動して高山病に注意です。降雨量は極端に少なくひどく乾燥しています、気が付くとクチビルが乾燥でパカッと割れてきますのでこれも注意です。生活水はヒマラヤの雪解け水に頼り、紫外線は強力でサングラスは必須、目がやられます。現地に入浴の習慣が乏しいのもわかります、日本でのように毎日お風呂に入っていては紫外線と乾燥ですぐにやられてしまうのでしょう。

このようにかなり過酷な環境ですが、人々は穏やかに慎み深くチベット仏教と共に住まっています。この地に住まう人々は「ラダッキー」と呼ばれています。現地の言葉でこんにちはは「ジュレー」、この地では何度このジュレーの挨拶を交わし合うことか、微笑みと共に交わすジュレーで気持ちはホッコリあたたかく、こころ休まっていきます。

まだバックパッカーとしての旅を始める前のこと、たまたま出かけた図書館で見かけた一枚の写真、何故かその場でその写真集の中の一枚に強く惹かれました。その写真に写っていたのはこのラダックの青空に浮かぶようにそそり立つレーパレスでした。なぜそんなに惹かれたのかわかりません、波長が合ったのか、もしかして運命か・笑 その場でメモしたラダックの文字、もちろん当時インターネットなどは無く、それにしてもまあろくに調べもせず、ともかくラダックとやらに出かけてレーパレスを見てみるぞ!若者らしい短絡的な発想と行動力で、あっけなくはじめてバックパッカーとして旅に出ることが決定しました。

ところでラダックってどこにあるの?どこの国? なになに?インド? インドかぁ、まあとりあえず行ってみるか!と手元にニューデリー行き格安チケットを握りしめ、気合い十分・笑 
インドへの旅、その難易度は初心者にはかなり高レベルな事もまったく知らずに・・・大笑
そして、すべての旅はここからはじまりました。すでに20数年前のことです。

次回もラダックでの旅の話しが続きます。(青山アトリエでの新作も随時アップしていきます、絵画教室のブログであること忘れていません、大丈夫です・笑)

リトルチベット2・オンボロバス 

オンボロバス

リトルチベットとも呼ばれるインド北端ヒマラヤ山中のラダックへ向かう道でのお話。
美しい湖ダルレイクにハウスボートが浮かぶ風光明媚なかつての高級避暑地、しかし今では政情不安万年戒厳令状態、日々爆弾が鳴り響くカシミール州スリナガルからご覧のようなバスに乗り、ほぼ未舗装路を丸2日激しい揺れと振動に耐え抜けば目的地ラダックに到着するというタイムスケジュールを信じつつ・・・乗客はすでにみな放心状態、目は虚ろです。

インドTATA社製のバスにサスペンションは無きに等しいとの噂通り、ビビビビッとダイレクトに背骨を貫く振動、窓はヒビ割れ閉まりもせず全身砂埃でジャリジャリ、しかもちょくちょくプスッと止まっては運転手が専用工具も持たず原始的にガシガシ修理しつつ、熱対策でしょうかエンジンにたびたび水をブッカケながらあえぐようにジリジリ進みます。これでもスーパーコーチと書いてあるようにひとクラス上のツーリストバスなんですね・・・

運転手は痩せこけたお爺さん・・・異様にテンション高く、手元のオンボロラジカセでインド映画音楽をガンガン鳴らしつつもアクセルはずっとベタ踏み、インド低カースト御用達の安タバコ、ビリーの火を絶やすこともなくバフバフ煙を吐き、目は血走っています・・・まれに他の車を見かけるとクラクション鳴らしっぱなしで鬼気迫る形相で抜きにかかります、ガードレールなど無い崖道だっちゅうに・・・もちろん交代運転手なんていません・・・このとってもワイルドなちょいワル痩せこけお爺さんが乗客の命運をにぎっています・・・

ラダックへの道道はといえばヒマラヤカラコルム仕様、インダス川の源流に沿って突き進むバス1台分がやっとの大半未舗装路。
景色は絶佳。地球のなり立ちや太古の造山活動を肌で感じ「これではバランスが・・・調和がとれてないでしょ」と突っ込み入れたい荒涼の山砂漠。
「この道じゃ事故もねー、あるでしょ?」と見ると谷底に転落済みの残骸バスも発見・・・コレハ!アリエマセン・・・徐々に景色をながめる余裕もなくなり体力はどんどん吸い取られ、ただひたすら忍の一字に・・・。

もはやなにも考えることすら出来なくなり、背骨は痛み、跳ねてはタンコブ作り、眼鏡のレンズは割れ、内蔵が下がりきった頃に、目的地であるラダック地方中心の町、レーに到着です。
もう2度とこんな乗り物イヤです、と思いつつヨロヨロ足でバスを降ります・・・
(しかしそんな思いもむなしく帰路は、さらにさらにキビシイ行程に・・・笑)

目的地レーに到着し、虚ろな目で辺りをながめるとそこは紺碧の空が広がる別天地でした。
次回からはチベット文化圏ラダックに入ります。

リトルチベット1・アンバサダー 

アンバサダー

チベットへの旅ということで記事を書いていこうと思うのですが、前回の記事で書きましたようにチベット人は国をまたいで点在しています。そこで記事はじめのチベットは国で言うとインド、亜大陸北端ヒマラヤ山中に位置する「ラダック」へ向かってみようと思います。ラダックは別名「リトルチベット」とも呼ばれています。
(またインドのお話?というなかれ、たまたまですヨ・笑)

写真はまた古いポジからのスキャニング。カシミヤ織物やカシミール絨毯、湖に様々なハウスボートが浮かぶ避暑地で有名なカシミール州、州都シュリナガルを出発してラダックまでの道のり途中になります。ごらんの通りヒマラヤ山中の荒野をひた走り、うまいこと予定通りに進んで丸2日、途中4千メーター超の峠をいくつか越えるなかなか脅しの効いた行程です・笑

写真の車は「アンバサダー」その当時インド中を走っていた大国民車です。1950年代に英国で作られていたMorris Oxfordという車のインドメイクコピー車でなんと50年以上モデルチェンジ無しというシーラカンス級の化石車です・笑 その当時インドは少しずつ市場開放を始めた頃でいまだ高関税半鎖国状態、車と言えば英国設計のインド製がほぼ大半、少しだけマルチ(日本のスズキ、インドでスズキ車は壊れず力もあって大人気でした!)が走っている状態でした。ですのでこのアンバサダーはお金持ち、政府高官から町場のタクシーまでみんなが使った、良くも悪くもインドクォリティー丸出しの愛すべき国民車でした。

型は同じでも生産年代がとっても長いので車の状態は様々でまるでバラバラ。ピカピカに磨き上げられたオフホワイト色の運転手付きお偉いさん御用達アンバサダーから、コレハ絶対アリエマセン!と絶句する見事なオンボロ車まで、とってもバラエティに富んでいました。バックパッカーの移動手段は運賃の安いバス使用が中心であまりアンバサダーに乗る機会はありませんでしたが、たまに乗ってみると、すべて車内の床が朽ち果て地面丸出し、走行しながら車内は激烈な土ぼこり充満でゲッホゲホ、といったオイシイ笑い話にもよく出会えました・笑
(もちろん旅中は笑い話でも何でもなくコレハ絶対アリエマセン・・・と困惑絶句でしたが)

写真の車はおそらくチャーターして北方へ向かうアンバサダー、結構料金がかさみます。
お金を使いたくないバックパッカー達は迷うことなくとても残念なバスに乗り・・・。
そんな話しで次回へと続いていきます。

アラウンド・ザ・チベット 

ラダックチョルテン

これからまた旅ネタをいくつか書いてみようと思います。
写真は古いポジからのスキャンもので、チベット地域でよく見かけるチョルテン(仏塔)。
チベット民族は高地に住まい、チベット仏教を信仰する人々で多くの日本人と同じモンゴロイド系ですので顔つきは私達ととても似かよっています。

チベット文化をそなえたチベット人達は最近日本でも珍しく話題に上がるようになった、中国側が言うところの「チベット自治区」だけに住んでいるわけではありません。ヒマラヤやカラコルム山系高地の広範囲に点在しています。

20数年前にはじまったバックパッカーとしての旅もチベット圏からスタートしました。本家チベットのラサや有名なポタラ宮(ダライラマが住まっていた王宮)には憧れもありましたがいまだに訪れたことはありません。今のまま情勢変わらずでしたら今後も出かけることはないと思います。しかし今まで他のチベット文化地域にはずいぶん足を運んできました。国で言うとパキスタン、インド、ネパール、中国雲南省などになります、在住するお国は違えどもチベット人はチベット人として大地にしっかり根付いていました。ワタシにとってもいろいろな意味でものごとを考えるきっかけをつくってくれた場所でもあります。

これまで半端じゃない優しさと親切を受け、おそらく多くの影響も受けているであろうチベット地域についてこれからポツポツ書いていこうかと思っています。

あいかわらず青山アトリエネタから離れていっていますが、ぜひぜひご容赦の程を・笑