 (追記・画像2点は帰国後追加アップしました。文章も気になるところはあるのですが ライブ感があるからまあいいか、とそのままにしました m(__)m ) ご無沙汰しております、私たちは変わらず旅を続けています。 ベリーノイジーかつ怪しげな輩が闊歩し、空をカラスが覆いつくし、 最新と中世が同居したような魅惑的な大都市カルカッタをとうとう後にしました。 旅もそろそろ終わりになります、寂しいものです。 このような地を旅していると出会う旅人たちは3ヶ月、半年、一年といった 長旅さんたちも多く、とってもうらやましい限りです。 世界一周チケットを駆使して5大陸すべてを回る者、中国を渡りインドに入りこれから中東に 抜ける者、ヨーロッパから極東を目指し南アジアの物価の安さに喜ぶ者、やっぱり盗難や 詐欺に出会ってしまって荷物をなくしかえってすっきりしている者、あまりに気に入った土地に 出会ってしまって俗に言う沈没してしまった者、勢いあまって出家して袈裟装束で旅するもの。 インドで出会うインド人たちのインパクトも相当なものですが、 そこを旅する世界各国の旅人たちもめっちゃ個性的、インパクト大 日本ではなかなか出会えないような輩ばかり、笑  とりあえずわたし達の今回の旅はもうすぐ終わりになります。 とりとめもなくブログの方もポツンポツンと更新してまいりましたが 旅先からの更新は今回で終了となります。 また帰国後、落ち着いて少しずつ旅中の様子などをまた記していきたいと思っています。 今回もとても簡単には言い表せないような、沢山のことを旅は感じさせてくれました。 多くの笑顔と健やかな心を与えてくれたであろうこのインドに感謝をしつつ。 次回の更新は日本の端末からになります。 ナマステの国からお送りしてきました、それではまたまた!!
 (追記・画像2点は帰国後追加アップしました。文章も気になるところはあるのですが ライブ感があるからまあいいか、とそのままにしました m(__)m ) インド東海岸沿いにある田舎漁村ビーチ、プリーに過ごしています。 ここはジャガンナートを祀り大勢の巡礼者が訪れる、ビシュヌ派有数の聖地です。 大聖地バラナシと並ぶ聖地としてあり、信じられないほど沢山の巡礼者が訪れます。 でも、しょぼくとも退屈の無い海岸沿いの住みか辺りはいたって日々のどかです。 インドでは植民地時代に大英帝国がせっせと作った大鉄道網が引かれています。 バス移動は安さで列車に勝りますが、長距離のバス移動は体にこたえて参ります。 ということで大きな移動には列車を選び、そしてカーストの国インドらしく 幾等級にも分かれた列車等級の中で、いつも決まって私たちは 2等寝台のチケットを取ります。 2等寝台車は寝台列車の等級の中では一番下の等級、お値段も最上等級の10分の1程度。 その下の等級は2等椅子席がありますが、こちらは座席指定も無く、自由席。 大量の荷物を抱えたインド人でいつだって超満員、席を取るだけでも至難の業。 上の等級はエアコンが入ったり、ベッドが多少広かったり、 シーツやブランケットが配られたり、もっと上級になると食事やお茶が何度も出されて、 至れり尽くせりになっていきます。  階級のはっきりしたインドでは1等から上の列車の乗客はあきらかにリッチ! 私たちの使う2等寝台は庶民クラス、だいぶ客層がちがってきます。 なんとなく分かれたコンパートメントには座席を動かして作る3段ベットが2列、 通路を挟んでもう一列の3段ベット。 ですから座席指定のコンパートメントには9人のはずですね、 でもなんでかいつも10数人の乗客がぎゅうぎゅうと席を分け合って座っています。 まあ乗車中そんな10数人のインド庶民の旅をこちらはたのしく眺めることになります。 騒ぎ盛りの子供を抱えた若いお母さんをサポートするおばあちゃん、 たぶん女性であろう友人に嬉々として会いに行くのだという学生、 さっきまで見ず知らずの仲だったであろう親父たちは唾を飛ばして激論する仲良しに、笑 まったく通じる言葉はなかったけどずっとニコニコローカル語でまくし立てていた 楽しくもかわいらしいおばちゃん達。 売り子もチャイをはじめありとあらゆるインドスナック、オモチャ、鍵、おみやげ品等々。 そして楽師、おかま、美声を聞かせる盲目歌人、さまざまなバクシーシなどなど とてもとてもにぎやかな車内なのです。 一等に行けば訳のわからない売り子も入ってこず、多少荷物の安心は得られるのでしょうが それはクールな車内・・・2等のごちゃまぜ、みんなの生活ぶり丸見えの 旅人から見ると格別である庶民の雰囲気は見えなくなってしまいます。 コンピューター発券になり列車のチケット確保は昔と比べて格段に楽になりましたが 今回何度か乗った2等寝台で席番号が正確だったためしはいまだにありません、笑 そのたび2等コンパートメントには人があふれ、 困った顔をしつつもみな肩をすぼめて席を分け合い、押し合いへしあい座っています。 そのうちのんびりと車掌がチケット確認に訪れて、ひとしきり中混乱ほどの騒ぎになり みんなであーでもないこーでもないの押し問答、笑 ここは車掌の腕の見せ所と、各人の席を配分して、なんとなく混乱は収まっていきます。 まあなにかと問題があるといえばあるのでしょうが、 結局はいつもベットで眠りにつくことができますし みんなの手製お弁当食事風景を見て、孫のミルクを器用に冷ますばあちゃんに微笑み、 熱々の新婚カップルをほうほうと眺め、赤ちゃんの夜鳴きを聞き、じいさんのいびきを聞きつつ いずれはのっそりと目的地に到着するわけです。 そんなこんなで私たちには楽しさいっぱいの2等寝台車なのです。 (インド擁護として、笑 このごろは悪評高かった大幅遅延も無くなり、 昔よりいくぶん列車もキレイです。)
 (追記・画像2点は帰国後追加アップしました。文章も気になるところはあるのですが ライブ感があるからまあいいか、とそのままにしました m(__)m ) ヒマラヤの入り口シッキム州を出て再び西ベンガル州カルカッタまで降りてきました。 羽毛服を羽織っていた世界から、一気に半袖サンダルの夏着です。 とはいってもまだまだ激熱苛烈な気温でもなく、モンスーンで水のあふれる季節でもなく これはいたって過ごしやすい初夏程度なり、風も心地よいカルカッタです。 まあ相変わらず随所に混乱が見受けられるネオクラッシック大都会カルカッタ、笑 ですが、過ごしやすい季節のせいなのか心なしか、わずかに穏やかに映ります。 チベッタンやネパーリーの文化圏、山岳地帯を歩いた一幕を終え、二幕目に入り これからまた2等寝台列車にゆられて東海岸沿いを南下、プリーへと向かいます。 寒さで縮こまっていた体も伸び伸びとして、インドらしいカッとした太陽が輝き出しました。 静かで慎み深い人々たち落ち着いた町の多い東北方山岳インド世界から 喧騒と混乱、なんでもありの俗に言うインドらしい世界へと一気に変化を見ました。 この街カルカッタでは崩れかけた古い街並みに行き交う人々、働く人、ヒマな人、 怯え気味の犬、大量のカラス、人力車、世界各国の旅人、バクシーシの人 キャラ立ちした商売人、炉端の残飯をついばむ小鳥たち、、、、、、、、 ほんの少し街をぶらぶら歩くだけでもまったく飽きません、笑 おもしろい!でも疲れます、笑  これから向かうプリーは以前のブログでも紹介したことのある 我が家のアイドル、ジャガンナートの聖地でもあります。 そのジャガンナート寺院は変わるはずも無く鎮座されているのでしょうが 宿の集まるビーチ辺りは変わらずのどかな田舎漁村のままなのでしょうか? たしか砂交じりの一本道の両側にポツリポツリと売店や食堂、安宿が並んでいたはず。 明日朝には久しぶりの聖地プリー。楽しみです!
 (追記・画像2点は帰国後追加アップしました。文章も気になるところはあるのですが ライブ感があるからまあいいか、とそのままにしました m(__)m ) ご無沙汰しました。 わたしたちはダージリンから北東インドを少しずつ移動をしつつ元気です! 現在シッキム州に入りその州都ガントックにたどり着きました。 ここシッキムはネパール、ブータン、そして中国が言うところのチベット自治区と いくつもの国境を抱えるインド北東はじっこの州になります。 中国とインドでこのあたりの国境線の引かれ方が食い違っているなど、 複雑な情勢な場所であって、外国人の入域には許可証を申請が必要だったり、 やたらと軍の施設や車両が多かったりはしていますが まあ取り立ててそれで問題があるわけでもなく、現地はきわめて平穏です、笑 と、ガントックには着いたばかりですので、 一つ前にいたウエストベンガル州北端に位置する カリンポンという町の印象を少しばかり書いて見ます。 カリンポン、小さな山にへばりついた町です。チベット系とネパールからのネワール系 そこにインディアンが少々加わったといったといった人々が暮らす町です。 観光客はほとんど訪れず外国人用の設備もほとんどなんにもありません。 見所といえば町のはずれ丘に立つチベット系ゴンパ(寺)とブータン系ゴンパなのでしょう。 どちらのゴンパも行ってきましたが、生きている寺であったとしても 別段すごい訳でもありません。 おもしろい物産や工芸品、もしくは特産の美味しいものがあるわけでもありません。 (こう書くとカリンポンに申し訳ないですね、チベット料理のモモ(餃子)や チョウメン(焼きそば)などとても美味しいです。がこれらはこの辺りどこにでもあるものです) こんな小さな町ですがどうやらとても印象に残ってしまったようなんですね。 何が? なんともよくわからないのですが、このカリンポンではとことこ散歩をして 町の暮らしや市場を見て回ったのみ。 とくに面白いことやハプニングがあったわけでもありません。 なのに、恥ずかしながらジーンと来るんです。 なんなのか? この町、あったかいんです。柔らかく優しいんです。 とくとく歩いているだけで感じるんです。 町によっては恐ろしい野犬も穏やか、鳥は飛び、子供は遊びすこやかに、花が咲き 触れ合う人たちみな実に柔らかな物腰。 決してすべて裕福な町でないのは一目瞭然なのですが かどかどしさがまったくありません。  好きな映画監督ラッセハルストレム描く「やかまし村の子供たち」 もしくは宮崎駿の描く、原風景。そんな感じがするのです。 何にも期待していなかった単なる通過点としての町だったカリンポン。 すっかりやられてしまいました、笑 これだからやめられません、やっぱり深いぞインド。まだまだこれからが楽しみです。 それではまたまた。
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